数珠(念珠)講座

数珠(念珠)講座

 

数珠の歴史(1)

呪文や念仏を数える  数珠の歴史を語る時にまず挙げられるのが、釈尊が「無樓子(むくろじ)」の実をもって数珠を作ることを勧めたという話である。「無樓子の実,百八を糸で繋いで連珠を作り、いつも体から離さず念仏を唱えれば、煩いを取り除き、正しきに向い、間違いのない政治を行うことができる」と釈尊は説いたという。これは単なる説話ではなく、釈尊の時代から珠数は存在していたのだが、その歴史は詳らかではない。現在でも数珠の代表的な材料となる水晶などの貴石類はこの時代から珍重されていたに違いない。  ところで、仏具としての珠数には、念仏(称名) や、真言(呪文)を唱える時に、何度唱えたかをカウントする役割というものがある。実際に数珠の中にはこうした機能を考えて作られているものもある。  日本に密教をもたらした弘法大師空海(九世紀に活躍)は青年僧であった時に百万遍の呪文へ虚空蔵求聞持法)を唱える修行を行い、今日でも同様の修行が高野山では行われているが、その時には必ず呪文の数をカウントするために修行僧は数珠を持つ。また、念仏やお題目を何度唱えたのかということが重要な場合は、珠数がカウントの機能を持つ。  珠数そのものは釈尊の時代からあったが、さらに仏教において念珠が積極的に取り入れられるようになったのは、念仏を唱える浄土の教えや密教 (真言宗)がインドや中国で盛んになる五世紀以降なってから、とも考えられる。


数珠の歴史(2)

七宝へのあこがれ  以上述べてきたような機能だけで、数珠は仏教の中に取り入れられたのではない。このことは現代でもそうであるが、数珠そのものが一種のお守りや「厄除け」しての要素を持ち、であるがゆえに素材として神秘的な力を発揮するとされる水晶やメノウなどの各種貴石、白檀・菩提樹などの貴重な素材が数珠に使われてきた。 簡単にいえば数珠は「災いを取り除き、福を招く」ものとして考えられてきた、ということである。  現在、日本にある最も古い珠数は、正倉院に伝わるものであり、琥珀・水晶(水精)・菩提子などの念珠(誦数という表記であるが)が現存しており、奈良時代(八世紀)にはすでに日本でも数珠が使われていたことがわかる。 そして、おそらく当時の人々は水晶や虎粕・菩提子といった素材そのものに神秘性を感じとっていたことであろう。  七宝という言葉は良く知られている。「七宝焼(しっぽう)」はその代表例であろうが、実はこの七宝、仏教用語が語源である。仏教でいう「七宝」とは「金・銀・瑠璃・水晶・シャコ貝・珊瑚・メノウ」などで、適宜、琥珀・真珠などに入れ替わる。こうした素材は現在でも貴重なものであり、であるがゆえに特別な力を持つものとされ、数珠もこうした材料を主に使ってきた。 使うことで、それを特つ人に幸いをもたらすことも念じられてきたに違いなく、それが僧侶の場合であれば、無事に仏道修行を達成するためのお守りとしての役割も果たす。  つまり数珠をもつことそのものが功徳であると理解されてきたのである。こうした「功徳」が数珠に秘められているということを、知っておく必要がある。


数珠のさまざまな形式

現在、市場に流通している数珠には様々な形式がある。珠の数や房の形式、珠の種類などのことを考えれば無数に数珠の種類があるとも言えるのだが、まずその最も基本的な形式から説明しておきたい。  数珠は百八珠であることを基本とする。これには百八煩悩などを消滅させるため、などの解説もつくが、百八珠を持つ数珠が正式な珠数ということになる。 この百八珠は主珠と呼ばれるもので、実際には主珠よりやや小形の四天が主珠の間に入り、さらに主珠より大きな母珠 (親珠)が入り、この母珠から弟子珠・浄明珠と呼ばれる小形の珠が伸びることになる。そして、房が付けられる。  百八珠が基本ではあるが、実際には半分の五十四珠、その半分の二十七珠、また百八にちなんで十八珠などの種類があり、、四天や弟子珠の在り方も様々である。  房の種類には、頭付房・切房・新松房・紐房、凡天房などがあり、この他にも珠数メー力ーが独自に持つ様々な房がある。数珠は珠と房の組み合わせで構成されるが、さらに正式なことを言えば宗派ごとで珠数の形式が違ってくる。 おそらく仏教国の中で宗派ごとに数珠の形式が違うというのは日本だけであろう。形式の違いは使用方法の違いからも来ている部分もあるが、本当のところは分からないという部分もある。  ただし、現状を言えば、どの宗派でも使うことのできる「八宗数珠」が市場の大半をしめている。 (八宗とは日本の仏教宗派の基本的な区分)


一生手にすることのできる財産として

さて、婚礼数珠がどうして必要なのか、どのようにして使われるのかということを説明じておきたい。  数珠が必要になるのは、お仏壇に結婚を報告する時や、墓参時に結婚を報告する時である。それはご先祖様にご報告するということであり、これからの二人と一族の幸せを祈ることになる。これは習慣によるところが大きいのかもしれないが、結婚に際して、夫が妻の、妻が夫の家に祀(まつ)ってある仏壇に挨拶し、結婚を報告するというのは、地域によらず当然のこととして考えるべきではないだろうか。  また、仏壇の前に座ることや、お墓参りのことを考えれば、それは慶事の報告であることも多々あるはずだ。子供の七五三、入学、卒業、夫の出世や願掛けの成就など、ご先祖様に報告する機会は多いはず。そうした時にも数珠を手にしておまいりしたい。 朱房で珊瑚の数珠だと仏事には使いづらいという向きもあるだろうが、人生での慶事に数珠は必需品という考え方を是非持っていただきたい。  数珠は仏事ばかりで使うものではない。  それは前述した「数珠の功徳」でも十分に理解していただけると思う。数珠を持つことは、自分の人生を守り育てることにつながる。一生のお守り、とも言える。であるから、人生の節目である婚礼の時に是非数珠を揃えて頂くようにして欲しい。当然のことながら葬儀や仏事に出席して数珠を持たないということは、社会人として恥ずかしいことである。 さて、とは言うものの、数珠の品揃えが難しいように感じられるかもしれないが、実際にはそう難しいものではない。それは前述した通り、全ての宗派で使う事のできる数珠(ハ宗珠数)が商品としての数珠の大半である。 さて、通常、数珠として目にすることの多いのは片手物とよばれる二十七珠を基本とするものであり、この場合は弟子珠などが付いてなく、房だけの物の場合もある。婚礼用としては百八珠 (二輪と呼ぶ)の正式な数珠も数多く使われる。とくにペア数珠とする場合は男物が片手物でも婦人用としては二輪とする場合も多く見ることができる。 いずれにしても、数珠は修理しながら一生使えるもの。人生の財産となる。こうした点を理解していただいた上で、数珠を扱っていただきたいものである。


自分の宗派と相手(弔う方)の宗派と、どちらにあわせるのでしょうか?

相手の宗派に合わせて数珠を取り替えていては,いくつ有っても足りません。
自分の宗派の数珠を持っていれば良いと思います。
基本的には「正式な二輪の数珠を持って下さい。」と言いたいのですが,
どの宗派でも使用出来る片手物(一輪の数珠)を持っていれは良いと思います。

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